ビョークのウィッグも手がける河野富広。2D、3D、ARと多領域に広がる創造性の探究

写真提供:河野富広
ビョークやNewJeans、HYUKOH、黒柳徹子などにウィッグを提供しているヘアアーティスト・河野富広。長年のキャリアのなかで、2Dと3Dのあいだを行き来するようなヘッドプロップや、アニメの目のデザインがスプレーで描かれたウィッグなど、河野が発表する作品はファッション業界のみならず、ストリートやアート界でも注目されてきた。
さらに2020年のパンデミック時には、ステイホームでも楽しめるようにと、ウィッグのARフィルターを発表。フィジカルとバーチャル、それぞれの世界において着飾ることには、どのような楽しみや喜びがあるのか。
実際の髪の毛を使い、架空の生物かのような造形をつくりあげるウィッグシリーズ『Fancy Creatures』をはじめ、代表作を振り返りながら話を訊いた。
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取材は河野氏のアトリエ「konomad」で実施(写真提供:河野富広)
ウィッグはヘア表現の「総合芸術」。ジュンヤ ワタナベとのコラボなど
―美容師としてキャリアをスタートした河野さん。2007年に渡英後は、セッションスタイリスト、ヘア&ヘッドプロップアーティストと、独自に領域を広げてきました。そしてニューヨークでの活動を経て、2017年からウィッグの制作をスタートされました。その変遷の裏側には、どのような考えがあったのでしょうか?
河野:もともと0から1を生み出す仕事に憧れていたんです。美容師の仕事は、素材となるモデルの骨格や髪質を考慮して、似合わせながら自分本位な部分だけでなく、お客さまの要望を汲みながらデザインします。
一方、セッションスタイリストは、写真に写りこむ一瞬のヘアの形の表現や、ヘッドプロップのデザインをはじめ、チームで一つのイメージをつくり上げることが仕事です。
いままで積み上げてきた技術と表現のバランスを全部落とし込めて、さらに作品として手元に残せるのがウィッグだと思ったんです。髪の毛を扱ううえで辿るべき道のりの最終形というか、ウィッグを「総合芸術」としてとらえていますね。
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河野富広(こうの とみひろ)ウィッグアーティスト。原宿の美容室に勤めたあと、2007年に渡英し、セッションスタイリストとして活動。2013年からジュンヤ ワタナベのヘアスタイリストとして9回のパリコレランウェイショーに参加。2017年ニューヨークに拠点を移す。セッションのみならずウィッグの世界へ活動の場を広げ、ビョークやNewJeansとのコラボも多数。帰国後はキュレーターとしてコミュニティスペース「konomad」の運営も。写真は『DXP(デジタル・トランスフォーメーション・プラネット) ―次のインターフェースへ』で展示されたウィッグ
―河野さんはウィッグ制作を始める少し前、アメリカで作品集『HEAD PROP studies 2013-2016』も出版されています。斬新なアイデアとアウトプットに至るまでのプロセスを見ることができ、非常に面白かったです。
河野:ありがとうございます。あの作品集はヘッドピースをデザインするために辿ってきた道のりとインスピレーションを記録しています。
これはジュンヤ ワタナベ コム デ ギャルソンのヘア&ヘッドプロップディレクションを担当していたころの作品で、美容師が使うヘアカットの展開図(ダイヤグラム)をイメージしました。展開図はカットのトレーニングに描くもので「こう切るとこういう形になる」という髪の構造の理解を高めるものです。
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『HEAD PROP studies 2013-2016』(写真提供:河野富広)
―実際に2015年AWのジュンヤ ワタナベ コム デ ギャルソンのショーではこのヘッドプロップを装着したモデルがランウェイを歩きましたね。
河野:そうです。2Dの展開図を実際に3Dの被り物に展開すると、いままで見たことのないジオメトリックなデザインが生まれるのでは、とそんな発想からつくりました。
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2015年AWのジュンヤ ワタナベコム デ ギャルソンのショー
―まるで建築家やプロダクトデザイナーのように頭を構造的にとらえているのが面白いです。
河野:ヘアカットの場合、すでにある髪を切るという、引き算のアプローチなんですけれど、ヘッドプロップやウィッグの場合は足すことがメイン。だから、人間の頭をまっさらなキャンバスのようにとらえることができ、表現の自由度が増します。
長い歴史を持つウィッグを河野富広はいかにして新しく見せたか
―河野さんはウィッグ制作をするうえで、どのようなところに重点を置いているのでしょうか?
河野:ウィッグの製作技術は100年以上前から確立されているものなので、完成度の高いウィッグをつくるというより、どうすれば新しい表現になるかを意識してきました。
古くからあるハンドメイドのウィッグはレースキャップ自体に一本一本髪を植えるのに対して、近年主流になっている「ウェフト(みの毛)」を使ったマシンメイドのウィッグは、毛束の上端を縫製処理したものをつなげてミシンで仕上げてあります。
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左がハンドメイド、右がマシンメイドのウィッグ(写真提供:河野富広)
河野:Fancy Wigシリーズは、マシンメイドのウィッグの特徴を活かしてより新しい表現と着用する人の自由度を追求した新しいウイッグです。いままであったようでなかった、そういう表現の隙間を狙う楽しさがあるんですよね。
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ビョークとのコラボの裏側。『Fossora』で制作したウィッグが『Fancy Creatures』のきっかけに
―2023年に出版された写真集『Fancy Creatures』に載るウィッグたちは、タイトルのとおり生き物を彷彿とさせ、独特な色と形に魅了されます。この作品群が生まれたきっかけを教えてください。
河野:『Fancy Creatures』は、アーティストのビョークのために制作したウィッグから広がっていったシリーズです。初めは『Fossora』というアルバムのためにウィッグ制作の依頼が来て、そのコンセプトというのが「粘菌」だったんです。
そこからリサーチしてみると、自然物でも見たことがないような植物や深海の魚などの生物のアイデアがどんどん出てきて、デザインのアーカイブを見ているだけでは得られない新鮮さがあり、インスピレーションを受けましたね。なので、ウィッグの形もトカゲやカエル、カニやエビ、微生物のように見えるように製作しています。
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河野:基本的にはまず自分が作ったウィッグを自由に提案していくスタイルで、色はビョーク本人ともディスカッションを重ねました。ビビッドな色味を使っていても自然に見えるように心がけ、それに対してビョークが好むかどうか反応を見ながら進めましたね。
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河野富広とヴィジュアルアーティストの丸山サヤカによる作品集『Fancy Creatures』(写真提供:河野富広)
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写真提供:河野富広
―昨年ビョークが来日した際も、河野さんのウィッグを装着していたのが印象的でした。どのくらいのバリエーションを提案されたのですか?
河野:全体を通して100体くらい実物をつくりましたね。イベントでDJをするときやプライベートでもつけてもらっています。もともと私自身もビョークをアーティストとしてリスペクトしていて、彼女の髪の毛をいつか手がけたいというのは目標の一つでもあったので、夢が叶ったと思いましたね。
実際にコラボレーションしていくなかでも、自分の想像がつかない部分で音楽的な感性を交えたやりとりがあったのがとても楽しかったです。
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地毛をアップデートする「Fancy Wig」
―長年のウィッグ制作を通して、どのような気づきがありましたか?
河野:「美」の概念ってすごく変わるんだなとあらためて思いましたね。たとえば「Fancy Wig」シリーズは、クリップでパチっとつけられるヘアアクセサリー感覚のウィッグなのですが、脱着が手軽にできることと、インスタ的に映えたりすることもあって新しい感覚が得られるウィッグとして人気があります。
さらに現在起きている「Y2K(※)」のブームと重なって、もともとファッションブランドのショーのために作り始めたのですが、ストリートでも受け入れられたことが新鮮でした。
※「Year2000」の略称で、2000年前後に流行したスタイルを取り入れるファッション
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河野:エクステの遊びとしてハート、スターなどのモチーフは、ヘアのデザイン効果としてありだなと思っていましたが、最近では美容院に行って地毛に柄を施す人も増えてきていますね。
若い子たちが思っている「これかっこいい」「クールじゃない?」というある種、瞬発的で、かつダイナミックな流れに自分も影響を与えることができたのかなと思いました。
―たしかに、Fancy Wigはこれまでのウィッグとは違った感覚で、アクセサリーやメイクのように取り入れられるのが斬新だと感じました。
河野:ウィッグといえば地毛を全部隠すように装着するものでしたが、Fancy Wigは、地毛をアップデートするようなデジタル的な要素がかなり強いと思います。
使い方も人それぞれで、頭頂部の髪につける人もいれば、インナーや襟足につける人もいる。キーホルダーみたいにバッグにつける人もいて、みんな創意工夫してつけて遊んでいただいています。
それが2D的であり、3D的でもあり、もともとのアイデアを超えるクリエイティブな発想で使ってくれている。それをまたSNSにアップしてくれたりするので、デジタル上のコラボレーションのようでもあるから面白いんですよね。
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Fancy Wigのシリーズ(写真提供:河野富広)
トランスフォーメーションの願望を叶えたARフィルター
―コロナ禍では、Instagramで河野さんのウィッグが装着できるARフィルターが世界中で人気となりました。なぜARフィルターの提供を始めたのでしょうか?
河野:コロナの少し前、『PERSONAS 111』という1人のモデルに111とおりのフルウィッグを作る企画を進めていたんです。さらにそれは、作ったウィッグを天井から吊るし、そこに頭を入れてセルフィーが取れるインタラクティブな展示でもありました。
展示はパリ、東京ではできたのですが、写真集のローンチと合わせて企画していたニューヨークの展示がロックダウンでやれなくなってしまって。「いつやるの?」ってみんなからたくさんのDMをいただいたんですよね。そのとき、場所に制限されずに利用できるARフィルターの「PERSONAS」シリーズを出したんです。
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河野がInstagramで展開するARフィルター(詳細はこちら)
河野:いざ出してみると、ものすごい数の人がフィルターを使ってくれて、Instagramのフォロワーも1日2,000人くらいのペースで増えて、すごく拡散しました。
―ARフィルターは、物理的な身体をバーチャルに加工する遊びです。実際にウィッグを身につけるのとARフィルターをつけるのでは、どのような違いがあると感じますか?
河野:やはり手軽に変身できるという点ではないでしょうか。実際にウィッグに挑戦するには、手間やコストがかかったりしますよね。
ロックダウンされていた当時は、非常にシリアスな状況だったということもあり、家のなかでおしゃれをしたり、コスプレをしたり、トランスフォーメーション(変身)に対する願望が顕在化していたように思います。そこに「手軽に変身できるちょうどいいもの」としてARフィルターが波及したと思います。
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2D、3D、ARを経験したヘアアーティストの行き着く先
―2024年3月末まで、金沢の21世紀美術館での企画展『DXP(デジタル・トランスフォーメーション・プラネット) ―次のインターフェースへ』『DXP2(デジタル・トランスフォーメーション・プラネット2)』にも参加されていました。そこでも、ARフィルターを使った作品などさまざまな作品が展示されていましたが、何か発見はありましたか?
河野:これまでスマートフォンのなかだけで自撮り的に楽しまれていたものが、現実空間のなかで、大きなモニター上でインタラクティブに表示されるようになったので、また違った面白さがありましたね。
InstagramのARフィルターは自分でウィッグのデザインを選ぶことができましたが、展示ではモニターに映し出されたら、半強制的かつランダムにウィッグを装着されてしまう。鑑賞者自身が求めていなくても映し出されてしまうので、ご年配の方からお子さんまで、びっくりしつつ楽しんでいただけました。
モニターの背景には展示空間にくらげのように浮遊しているウィッグも映し出されていて、自分自身も作品の一部になれるような感覚もあって。そこからさらにSNSでタグづけして投稿してもらうことで、私自身が金沢に行かなくてもお客さんと話しているような、新たなコミュニケーションのかたちとしても面白さを感じましたね。
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金沢の21世紀美術館で開催された『DXP』展。能登半島地震の影響で一時中断されていたが、内容を一部変更して『DXP2』展として再開(写真提供:河野富広)
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東京大学 池上高志研究室が展示したヒューマノイド「Alter3」とのコラボ(写真提供:河野富広)
―河野さんは2Dから、3Dのリアルな作品、そしてARと、様々な表現に積極的にチャレンジされてきました。今後はどのような方面にチャレンジしていきたいですか?
河野:まだ見つかっている訳ではないですが、やはり今後も自分が思ってもみなかったような発見につながる挑戦をしていきたいですね。
たとえば、デジタルの技術を使って、新しい髪の毛みたいな素材もつくってみたいですね。髪の毛は有限な素材なので、もしその髪の毛に代替するものを人工的につくって、それが環境への負荷を抑えられたらいいなとか。そのためにはどんな素材や技術があるんだろうって思ったりします。
それをゆくゆくは日本の技術として、世界に発信できたらいいですね。もちろん、髪の毛自体のリサイクルも考えています。毎日美容院で大量に捨てられる髪の毛が肥料になったり、ファブリックの素材になったりしてもいいだろうし。そして最後は人ですね。自分が経験してきたこと、得てきた技術をアカデミックの方面や学生たちに伝え、未来につなげていくという使命感を最近は抱いています。