台湾のトップデザイナー・聶永真(アーロン・ニエ)が見つめる、デジタルアートの世界

CDジャケットや書籍の装丁、プロダクトデザインなど、幅広いジャンルでデザインを手掛ける台湾のグラフィックデザイナー、聶永真(アーロン・ニエ)。
近年は、台湾大統領選における蔡英文候補(当時)の選挙ロゴデザインや、『New York Times』の広告、台湾版『VOGUE』のカバーデザインなどを手掛けており、コードアートをはじめとしたデジタル作品にも積極的に取り組んでいる。
そんなアーロンは、バーチャルな世界でのものづくりにどのような魅力を感じているのか。これまで手がけてきた紙のグラフィックデザインなどの仕事との違い、台湾におけるデジタルアートシーンの現状などについて話を聞いた。
領域をまたぐことで、新たなアプローチを獲得していった
―ミュージシャンのCDジャケットから、コマーシャルなプロダクトデザイン、選挙ロゴなど、さまざまな領域でご活躍されています。どのようにデザインの領域を広げていったのでしょうか?
アーロン:『永真急制』という卒業制作作品が話題になったことをきっかけに、大学院在学中から10年ほどはフリーランサーとして働いていました。その頃は、主にCDのジャケットやブックデザインを中心に仕事を受けていたのですが、10年のあいだにクライアントもファンも増えていき、1人で仕事を抱えきれなくなってしまったんです。
そこでスタジオを立ち上げ、チームをまとめるアートディレクターになりました。スタッフが増えたことで自然と領域をまたぐようになり、仕事のジャンルも多様になっていきました。
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卒業制作作品『永真急制』
―2019年には渡英し、ロンドン大学ゴールドスミス校でコードアートを学ばれていますね。なぜ留学を決めたのでしょうか?
アーロン:スタジオを設立して十数年経った頃には、知名度も上がり、台湾のデザイナーとしてのポジションが確立されていきました。その一方で、クリエイターとして停滞することに恐怖を感じるようになって。ソーシャルメディアで自分の作品を毎日のようにポスティングしていても、賞賛のメッセージばかり。疲れを感じていましたし、承認され続けていては成長できないと思い、その後何年か経ってから、スタッフに「2年ほどスタジオを閉めます」と伝えて留学を決めました。
最初は、ベルギーにあるアントワープ王立芸術アカデミーへ行ってグラフィックデザインを専攻していたのですが、やはりまだ自分がコンフォートゾーンにいて、このままでは学べることが限られてしまうと感じて2年目はロンドンに移り、コンピューテーショナルアートの分野で新たなアプローチ方法を学ぶことにしたんです。そこに学びに来る人は、理数系というか、情報や技術に強い人たちが多く、色々なバックグラウンドを持つ人が集まっていました。
グラフィックデザイナーとしての活動は続けていきたいと思っていたので、ここで異なる領域にチャレンジし、新たなアプローチ方法や技術の習得をすることで、マンネリの解消に繋げることができるんじゃないかと思いました。そこでコードアートを学び、習得した技術を自分のグラフィックにも展開していきました。
『VOGUE』台湾初のNFTカバーアートと、いまNFTに感じている疑問
―2021年、アーロンさんは『VOGUE』誌で台湾初となるNFTカバーアートを発表しました。どのような思いで制作されたのでしょうか?
アーロン:「これまでにないものをつくりたい」という思いを込めました。その当時はコロナ禍で、『VOGUE』誌から「特別版表紙をつくるので、台湾のローカル版のカバーデザインを担当してほしい」というオファーがきたんです。
どういうものがつくれるだろうと考えたときに、人がメインになることが多いファッション誌で、人がいないグラフィックを出したらクールではないかと思ったんですね。そこで、テーマである「Formosa Love」を反映し、台湾北東海岸の静かな夜の風景を描きました。
その当時は、NFTが台湾でも盛り上がりを見せていた時期でもあったので、作品は数か月後にNFTとして販売されました。実際に見ていただくとわかると思いますが、NFTバージョンでは、月光に向かって鳥の群れが飛び、穏やかな波の動きも見られます。RGBで表現されるデジタルアートの世界では動的な表現も可能なので、印刷された作品とはまた違った表現の広げ方があると思いました。
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台湾版『VOGUE』のNFTカバーアート
─通常の紙の表紙と比べて、動的なデジタル表紙を制作する際に没入感を高めるために工夫した点はありますか。
アーロン:デジタルのスクリーンで表示される色調はRGB値を使用しており、フィジカルな表紙とは大きく異なるものだと思います。スポットカラー(※)で印刷したとしても、印刷版では視覚効果が制限され、デジタル時代に慣れ親しんだ受け手により響く、光をベースにしたカラーモードで作成されたアートの鮮やかさを超えることはできません。
また、動くデジタル作品の本質は、時間の概念を直接伝えることができる点にあると思います。印刷版の表紙では再現することのできない視聴者との共有体験をつくり出します。
※スポットカラーとは、カラー印刷をするとき、特別に調合したインクで表される色のこと。
―発表後はどのような反響がありましたか?
アーロン:最初のNFTコレクションとして、NFTマーケットプレイス「Foundation」で世界中の『VOGUE』の表紙と一緒に販売されたのですが、当時のレートで約80,000米ドルの入札があり、その金額を『VOGUE』が発表したことが大きな注目を浴びました。
―過去に「NFTやメタバースに大きな可能性を感じている」と発言されていましたが、2023年の現在はどのように感じていますか?
アーロン:NFTに関しては、いまは当時ほどの魅力を感じていません。というのも、去年の5月ごろ世界的に仮想通貨の価値が暴落したことをきっかけに、NFTには疑問を持つようになったからです。
クリエイターの視点から言えば、NFTが立ち上がったばかりの頃は、もっとシンプルでした。インターネット空間で自由に作品を発表し、シェアしていくことができますし、その環境ですごい人たちにも知り合うことができる。そういった、インタラクティブで同時代性を感じる面白いものでした。
しかしいまは、デザイナーやアーティストのバックグラウンドを持つ人が減り、お金儲けができると気づいた専門家たちが参入したことで、パッケージ化され、複雑な体系のものへと変わっていってしまいました。その結果、マーケットが均質化され、作品の質も全体的に落ちてしまった。僕自身、NFTは継続しているものの、昔ほどの盛り上がりは感じていませんし、いまは投稿も控えています。
一方で、メタバースに関しては、引き続き将来性を感じています。たとえば、Appleのゴーグル型デバイス「Vision Pro」やミラーワールドなどが生まれているように、技術の更新や進歩はこれからも進まざるを得ないもの。そういった研究開発によって新しい技術が生まれることで、メタバース上でも新しい表現が生み出されていくはずです。
─今後技術進歩が進むことで、デジタルアートにおいては具体的にどのような表現が可能になると思いますか?
アーロン:じつは僕は、メタバースやミラーワールドにおける視覚的なものよりも、映画『her / 世界でひとつの彼女』にあったような臨場感のある音声シミュレーションの没入体験のほうが、より早く進化するのではないかと考えているんです。このトピックは、個人の感情的なニーズや社会的な関係、そして社会学のより深い側面に触れていると思います。音声形式の「仮想の」コンパニオンが最初に現れる可能性が高いのではないでしょうか。
僕はこの領域をデジタルアートの一つの形態だと考えています。形がなくても、AIを使って人間性や理解に関するメッセージを伝えるからです。
NFTはデジタルアートの創造の先にある出口のひとつにすぎない
―アーロンさんは、NFTとデジタルアートの関係性について、どのように捉えていますか?
アーロン:NFTというのは、デジタルアートの体質であるというふうに思ったほうがいいかもしれません。つまり、デジタルアートの創造の先にある出口のひとつに、NFTがあったということです。
デジタルアート自体には数十年の歴史があり、今後も可能性があると思います。たとえば、デジタルアートを生み出すRGBの空間では、本質的で瞬間を凝結させた平面の印刷作品とは異なり、時間性があり、ループもあり、短時間の動的状態を生み出すことができます。そのうえ、カラーコントロールも自由で、超現実的な創造世界をつくることができる。そういう意味では、より表現の幅が広いと思います。
─いま言及されたようなデジタルアートの持つ自由度は、アーロンさんの創作プロセスに変化をもたらしましたか? 変化に適応するうえでの課題についての考えも聞かせください。
アーロン:例えばInstagramなどのソーシャルメディアプラットフォームの広がりについて考えてみると、現在僕たちがグラフィックやキービジュアルをつくるとき、従来の印刷基準だけでなく、そのビジュアルがSNS上でどのように見えて、どう受け止められるかということも考慮します。この変化は、印刷された静的なイメージから進化して、モーショングラフィックの増加や、デジタル上でナラティブ(物語)を伝達する方法の再考につながっています。これによって、一つの作品がそれぞれのメディアに最適の方法で、効果的にコミュニケーションできるようになります。
僕は、時代の変化というものはクリエイターにとって良い条件をつくり出し、新しい方法を探求するための多くの機会をもたらすものだと信じています。多様なオプションによって生まれた変化は、単なる一連の課題ではなく、デザイナーにとっての多面的なツールキットとして捉えるべきだと考えています。
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―近年はAIを使った表現も増えています。その点については、どのように考えていますか?
アーロン:より若い世代にとっては、AIによる画像生成が第1言語となり、経験値を積み上げ習慣化されることで、これまでとは違う方向でリアルなものとなっていくのではないかと思います。そうしたら、生活スタイルそのものも変わっていくでしょうね。
しかし、審美眼やセンスというものは、どの時代においてもとても個人的な課題であり、AIによって生活スタイルが改変することと、個人のセンスがどのように連動していくか観察していくことは面白いと思います。一方で、AIによる画像生成によって、人々のセンスが抜群に上がるかというと、その部分に関しては疑問視していますね。
―台湾のデジタルアートシーンは、今後どのように発展していくと思いますか?
アーロン:台湾でデザインを学ぶ学生は、すでにデジタルアートとは切っても切れない学習をしています。なぜなら、台湾の美術大学には、グラフィックデザイン学科でも包括的に視覚言語を学び、平面のみならず、3Dやモーショングラフィックなど、多方面の知識や技術が習得できる環境があるからです。
そして社会人になってからも、専門領域を限定して活動している人だけでなく、僕のように特定のジャンルにとどまらない働き方をするデザイナーは当たり前にいます。ですから今後も、グラフィックデザイナーであると同時に、デジタルの世界ではアーティストでもあるといった、パラレルなかたちをつくりながら、個々人が柔軟にその可能性を広げていくと思います。
つまり、デジタルアーティストが複数のアイデンティティを持つ存在だということが一般的になっていて、それは世界的なトレンドにもなるのだと思います。ただデジタルアートシーンにおいて次に何がくるのかを僕が具体的に想像するのは難しいですね。
挑戦したいのは、より抽象度の高い没入型のデジタル作品
―Instagramでは、デジタルのアートワークが数多く投稿されていますが、どのような目的で投稿されているのでしょうか?
アーロン:ソーシャルメディアのなかでも、Instagramは特にデジタルを用いたアートワークの発表に適している場所だと思っているので、僕の投稿も自然とデジタルの作品が多くなっています。最近は特に、空間を感じる動的な表現が多いですね。
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―今後、デジタルの領域でチャレンジしてみたいことはありますか?
アーロン:デジタルの世界では、往々にして3Dモデリング的な立体空間的造形に留まっている場合が多いと思っていて。そうすると、超現実的でありながらじつは写実的でもあるというパラドックスが起こりうるわけです。ですが、僕がやりたいのはそういったものよりも、もう少しイマーシブ的な没入型の作品をつくることなんですよね。
目の前にありながらも、それが触覚的に寄り添っているような。それが3D環境であろうが、そこにはある種の現実味を帯びたものがあり、没入することができる。抽象的な話ではありますが、そういった方面のチャレンジをしていきたいと思っています。
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たとえばこの作品は、とてもグラフィック的でありながら、引き込まれるような没入的なアプローチをしているんです。実験段階ではありますが、こういった方向に進んでいきたいと思っています。
―GEMINI Laboratoryでは、仮想空間のための素材のデジタルライブラリー「AltField」(※)の開発を進めています。もし今後アーロンさんがAltFieldにおいて空間を構築するとしたら、どのような世界をつくりたいと思いますか?(※参考記事)
アーロン:凸版印刷は、歴史がある会社でありながら、新しいトライをしているのがユニークですよね。空間を構築するというのは、グラフィックデザイナーなので、正直にいってなかなか想像がつかないところではあります。
ただ、素材を見ていてメタリックなものや宇宙的な表現をしているもの、そして中国語で「仿生」というのですが、生体工学的なものに僕はすごく惹かれるんだなと気づかされましたね。もっと試していって、研究しながら考えていきたいですね。