「高次元データ」で建築や印刷はどう変わる? 建築家・豊田啓介が考える未来

「高次元データ」で建築や印刷はどう変わる? 建築家・豊田啓介が考える未来

メイン画像:明治通りとキャットストリートの交差地点に位置する複合施設「SHIBUYA CAST.」の外装とランドスケープのデザイン監修を行なったNOIZが公開した、次世代型スマートシティの垂直版『SHIBUYA HYPER CAST. 2』 image: NOIZ

デジタル技術の発展により、デジタルデータの世界では、取得できる領域の拡大や精度の向上といった高次元化が起きている。そうした高次元データを活用した新たな建築のあり方を、「建築情報学」というテーマを掲げて模索しているのが、東京大学生産技術研究所の特任教授で建築家の豊田啓介だ。豊田氏は、高次元データが秘めている可能性をどうとらえているのか。「建築は社会的な印刷行為だ」と語る豊田氏に、高次元データがもたらす「建築」や「印刷」の領域における変化と、その変化が導く未来の世界について話を聞いた。

「高次元データ」で建築や印刷はどう変わる? 建築家・豊田啓介が考える未来

数千年の歴史の転換点。情報の高次元化がもたらした建築の変化とは?

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ーあらためて、「建築情報学」とはどのような概念なのでしょうか?

豊田:「建築情報学」は、建築をデジタル技術の発展のなかで再定義するための視点や技術、人、組織を育てていこうといった考えからスタートしているコンセプトです。

建築は世界で最も古い職業の一つで、長い歴史のなかで業態が固定化していました。しかし、デジタル技術の進化によって、二次元で書いていた図面が三次元データになったり、構造や素材、はたまた人やモノの挙動といったものもデータとして扱えるようになったりと、扱えるデータが高次元化しています。これは建築の数千年の歴史のなかでも大きな転換点であり、建築も従来の固定化されたかたちではなく、新しい視点からとらえ直す必要があると考えています。

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豊田啓介

ー豊田さんが「建築情報学」の必要性を感じたのは、いつ頃のことだったのでしょうか?

豊田:「建築情報学」という概念を提唱し始めたのは15年ほど前で、必要性を感じたのはもっと前ですね。建築デザイン事務所のNOIZを設立した2007年以前はアメリカにいたのですが、そこでは設計図面を紙にプリントせず、コンピューターのなかで完結させるペーパーレススタジオに始まり、データをもとに建造物をつくるデジタルファブリケーションといった先端事例を見てきました。

そういった事例を見て、デジタル技術をうまく取り入れた建築の必要性を感じていたのですが、帰国した当時の日本ではあまり浸透していなくて。まずはみんなに知ってもらう必要があると考え、「建築情報学」という名称をつけました。以降、情報の高次元化に伴い、建築においてもいろいろな可能性が広がっていて、いまに至ります。

ー情報が高次元化したことで、建築においては何ができるようになったのでしょうか?

豊田:例えば、設計図面をデジタル化する技術であるCAD(Computer Aided Design)に続いて出てきた、BIM(Building Information Modeling)と呼ばれるテクノロジーがあります。BIMはCADと似ていますが、手描き図面のデジタル化バージョンではなく、素材の厚みや製品番号、製造工程といった建物に関する全データが入っているシステムです。これにより、ぼくらは必要に応じて欲しいデータを取り出し、編集や伝達を行なうことが可能になりました。

他にも、CADやBIMなどから得られた、建築界に閉じた静的なデータの、動的な情報への変換といった、ぼくらがNOIZで行なっている領域もあります。建物が完成した後のデータを、更新性を持った動的なデータに記述することで、建築のデータがゲームやVR、ロボットの制御など、建築以外の領域でも活用できるようになっています。

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アルゴリズムを用いた独自開発の技術によって、 空間の形状に合わせて分割パターンを生成できる畳「ヴォロノイ畳《TESSE》」。NOIZと畳製作会社・国枝とのコラボレーションで誕生した Photo: Yasuhiro Takagi

ー建築以外だと、高次元データはどういった領域に強い影響を及ぼすのでしょうか?

豊田:情報の伝達が必要な領域すべてが対象になると思います。そのひとつに、「印刷」があります。建築も、建築家の頭のなかにある情報を社会的なシステムのなかでゆっくりと伝達していき、モノ化するといった行為で、広義には「社会的な印刷行為」ととらえることができます。

「GoogleからChatGPTへの移行」と同じことが、印刷でも起こる

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ー高次元データによって、印刷の役割はどのように変わっているのでしょうか?

豊田:印刷は「対象物をスキャンして読み取る」ことと「読み取った情報の編集」、そして「編集した情報のアウトプット」という3つの工程を通じた、他者への客観的な情報の伝達だと思っていますが、伝達される情報は二次元であることが一般的な常識となっています。

ただ、ぼくらが伝達する情報は二次元である必然性はないし、むしろ高次元なものです。扱えるデータが高次元になっていけば、10次元の情報をスキャンして、10次元のまま伝達できたり、編集して3次元の情報としてアウトプットできたりといったことが可能になります。そうした、あらゆる次元を色々な組み合わせで自在にアウトプットできる、というのがこれからの印刷のあり方になっていくのかもしれません。

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グラフィックデザイナーである原研哉氏とNOIZのコラボレーションによるアートインスタレーション『Shadow In Motion』。2019年に台南市の中心部に新しくオープンした台南市美術館の、既存改修の地下駐車場と地上を結ぶ階段の境界に設置された Photo: Kyle Yu

ーあらゆる次元を自在にアウトプットできるようになることで、どういった変化が起きるのでしょうか?

豊田: Googleなどの検索プラットフォームから、OpenAIが開発したAIチャットツールのChatGPTへと移行したことと似たような変化が印刷の世界でも起きると思います。Googleはデータとして記述できる、単語などの静的なデータを単位として扱っていました。一方で、ChatGPTの最新モデルであるGPT-4は、モノのあいだの関係性などの動的かつ高次元な情報を単位として、自然言語のかたちでネット上に持ち、それらを読み込み、アウトプットするという、いわば「Googleの高次元版サービス」として機能しています。

印刷においても、従来は紙などの物体に落とし込める情報の単位が当然と考えられてきましたが、情報が高次元化していけば、人の関係性や時間軸といった行為全体をパッケージ化して伝達することが可能になります。それによって、GPT-4でいろいろな可能性が生まれているのと類似したかたちで、印刷における可能性も無限に広がっていくのではないかと考えています。

印刷会社がOpenAIやGoogleと比較して「圧倒的に優位」な点とは

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ー可能性が無限に広がっていくなかで、既存の印刷会社の役割はどのように変わっていくのでしょうか?

豊田:GoogleやOpenAIなどの企業と比較するとわかりやすいですが、印刷会社が圧倒的に優位なのは情報の編集をするなかで、「モノをデータ化し、データをモノ化する」物理レイヤとの接続部分です。こうした、OpenAIやGoogleなどの情報世界に閉じている企業が持っていない機能に特化し、世の中に流通するデータのアーカイブやフォーマットを用意するのが印刷会社の本業になってくるのかもしれません。

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ーモノのデータ化とデータのモノ化に特化した場合、印刷会社にとっては情報の編集や伝達といった機能は不要になるのでしょうか?

豊田:完全に不要とはならないと思いますが、印刷という行為がネットワーク上に分散していくなかで、AIが編集と伝達の大部分を担う可能性はあります。いまでもすでに、ぼくらが送った情報をAIが文脈的な観点から自律的に加工、処理したものが他者に伝達されるといったことは起きています。

それが進んでいけば、印刷に限らず、あらゆる領域で曖昧さが価値になっていくと思います。例えば、建築でも現状はネジの位置や寸法まですべてを建築家が決めていますが、ゆくゆくは大体のイメージをAIに伝えることで、当初の意図とは異なりつつも、新しい可能性を秘めている建築を提案してくることもあるかもしれません。もちろん、何でも曖昧なのが良いということではなく、必要に応じて正確な情報を取り出せるといった状況が前提にあります。

ー正確な情報や曖昧な情報がさらに増え、入り混じっていくと、情報の受け手側にも変化が起きるかもしれませんね。

豊田:変化はすでに起きていると思います。例えば音楽だと、昔はCDやレコードといった、曲の順番などの構成が固定化されていたものを購入し、楽しむものでした。でもいまはストリーミングが普及し、サービス側が提案してくる曲をシャッフル再生して聴くのが普通になっています。そういった曲のなかには、誰の曲かわからないものも含まれています。AIがその場その場で選んでくれた、誰がつくったかわからないものを受け身で享受することが常態化しているんです。

一方で、受け身でも情報を受け取れる世界では、情報を探す能力に価値が生まれると思います。探せるということは、自分で編集をしたり、つくったりすることにもつながっていくはずです。実際に音楽においても、DJのように自分がおすすめしたいと思う音楽を探し、編集したプレイリストを公開することで、人気になる人が出てきています。

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2021年秋に開催された『Tokyo Midtown DESIGN TOUCH 2021』で、NOIZがデザインを担当したメインコンテンツ『unnamed -視点を変えて見るデザイン-』

あらゆる人がクリエイター化していくなかで価値が出る「現実の世界のストーリー」

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ー情報の受け手だった人たちもクリエイターのようになっていく、と。

豊田:そうですね。むしろ、クリエイターと作品を楽しむ人たちといったこれまでの両極端なとらえ方の方が不自然だったんだと思います。いまはもう少しグラデーションのようになっていて、10%はクリエイターで30%は楽しむ人、など複数の側面が1人のなかに混在している。今日は他者の作品を楽しむ日で、明日はつくる日といった選択をできることの方が自然なかたちだし、今後はその傾向がより加速していくと思います。

ーあらゆる人がクリエイター化していくことで、より多くのコンテンツが生まれ、乱立していくと思いますが、そのなかではどのようなコンテンツに人気が集まると思いますか?

豊田:すでにSNS上で日々多くのコンテンツが投下されていますが、どれがバズったり、人気になったりするのかは確率論的な話だと個人的には思っています。バズりやすいコンテンツの傾向や、そういったコンテンツをつくるのが上手い人、下手な人はいますが、ヒットを必然的につくれる人はほぼいません。

FacebookやTwitterなど、中央集権的なサービスがコンテンツを人為的に管理している現状では、まだコントロールができるかもしれませんが、「Web3」のような、システムが分散的になった世界が訪れたときには、いよいよ誰もコントロールできなくなっていくはずです。

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ーさまざまなコンテンツが乱立し、かつそれらのコントロールが難しい世界においては、何が価値になるのでしょうか?

豊田:現実の世界のストーリー、つまりは多くの人に共有された情報の束が重要になってくると思います。デジタルで扱える情報は今後も高次元化していくと思いますが、フィジカルな世界に存在する物語や経験、歴史、文化的な価値といった情報は膨大過ぎて、デジタルで記述しきれません。

だからこそ、現実の世界にはそれらを束ねて、誰にも共有しやすいかたちにまとめてくれるという強さがあるのだと思います。デジタルの世界では補いきれない領域を、どのようなリアルの世界のストーリーで補足するか。情報が高次元化すればするほど、そういったことに価値が生まれていくんだと思います。