フィジカルとデジタルを行き来するプロセスが、無意味なものにもたらす奥行きとは?中山英之+砂山太一「かみのいし」「きのいし」「ぬののいし」

中山英之+砂山太一、ふたりの建築家による「かみのいし」は、「大きさ」という概念を持たず、意味も感じさせない石に焦点を当てたプロジェクトである。紙で石をつくるというごくシンプルなコンセプトから始まったプロジェクトだが、現在は木や布といった新素材を用いて印刷のさらなる可能性を探る動きも見せている。
現在、豊田市美術館で開催中の展覧会「ねこのほそ道」では、2017年から今日まで続いてきたこのプロジェクトの全体を通覧できる。数多くの名建築を担当してきた中山英之と、デジタル技術を用いたデザインを専門とする砂山太一が、石をつくり続ける面白さとはなにか?
建築家とは、意味を問われる仕事。紙では、意味がないものをつくりたい
同プロジェクトは、2017年に開催された3組の若手建築家が新しい紙の可能性を探る「紙のかたち展2 ふわふわ、ごろごろ、じわじわ」から始まった。当初、展覧会を企画した紙の商社 竹尾から「建築的思考をもとに紙を使ったプロダクトを考えてほしい」「紙でつくる立体や印刷の可能性を探りたい」というオファーを受けたのは中山。「紙で石をつくる」というごくシンプルなコンセプトは、すべての意味を問われる建築という仕事の反動から生まれたようだ。
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中山:建築家とは、すべてにおいて「なぜそうでなければいけないのか」と意味を問われる仕事であり、僕らは図面と言葉で徹底的に説明することで仕事を得ています。だからなのか、紙で何かをつくるときぐらいは思い切り意味がないことをやりたかった。意味を感じさせない石を紙でつくってみようと思い立ち、それを面白がってくれた砂山さんと一緒に制作することになりました。
過去に砂山さんは、ベッドのマットレスを物理演算によりシミュレーションし、その形態を織り込んだミクストメディアのオブジェを、コルビュジェ建築の中に展示していました。日常風景にゾワゾワするような違和感と物語性があり、「かみのいし」でもそういった砂山さんの技術と感覚のバランスが「かみのいし」にぴったりだと思ったんです。
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Photo : Taichi SUNAYAMA
砂山:僕は多摩美術大学彫刻学科を卒業後フランスに渡り、同地の建築学校でコンピュータプログラミングを介して建築形態をつくりだす研究を行っていました。物理的に存在する建築物そのものよりも建築という概念について強い関心を持っていた当時から、中山さんのテキストには影響を受けていました。中山さんのテキスト、ドローイング、建築物は、独自の概念が実際につくり出すものと無理なく一致している稀有な建築家だと考えています。それは、中山さんの描く線一本見ても明らかなように思います。
「石」をプラットフォームに他者の肉体や認知と出会う
道端に転がる石はすぐに手に入り、手軽にスキャンできるため、3Dデータとなってインターネット上にもたくさん落ちている。石のような何かをつくるアーティストやデザイナーは過去にもいたが、砂山曰く、作品としての奥行きを感じられるものは少なかったという。「かみのいし」は、作品に奥行きを出して過去の事例と差別化するために、フィジカルとデジタルを行き来するような独自のプロセスを踏んでいた。
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Photo: Hideyuki Nakayama Architecture
砂山:実をいうと「かみのいし」も、中山さんがドローイングを描いて言葉を与えるだけで作品がほとんど出来上がっていたので、あとは僕が具体的な制作プロセスを詰めていくだけでした。実際の石には、大きなまわりこみから小さな傷まで数え切れない凹凸がありますが、「かみのいし」は、およそ25面体以下に絞って構成しています。
ときには中山さんの事務所スタッフの方にもご協力いただいて、似顔絵ならぬ「似石絵」大会を行うなどの物理的なシミュレーションを重ねる中で、25という面の数が「模写」と「素描」を分けるラインだとわかりました。
中山:「似石絵」ではカッターを使って、ごろっとした発泡スチロールの塊を、里芋の面取りのように25面体ほどに単純化していきました。似顔絵が、少ない線で顔の特徴をとらえるとその人らしく仕上がるように、石も特徴を見極めてあえて「素描」にとどめています。
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Image: SUNAKI Inc.
砂山:通常は石を3Dスキャンすると、三角ポリゴンで形作られた高精細なデータができあがりますが、高精細なはずがまったく石らしくない。逆に、感覚的に単純化した模型をつくるプロセスを挟むことで、データでも「あの石だ」とわかるようになりました。
中山さんの事務所の方がつくってくださった「かみのいし」の模型を、デジタルで図起こししていく作業も面白かったです。誰かが「石」と認知しているイメージに自分も参加していくような感覚があり、石に対する共通認識にリアリティを感じました。
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中山:紙で石をつくるにしても、ただ展開図を描くだけでは存在としての奥行きがどこか足りない気がしました。デザインにとって、単純化というのは意味化することに近いです。肉体や物質を伴うアクションを経ることで、コンピュータでデータ処理するというプロセスに無意味な複雑性を宿したかったのかもしれませんね。
砂山:他者の肉体や認知が介在しているということが、「かみのいし」に知的な奥行きを生んだのだと思います。似石絵大会に参加してくださった中山さんの事務所スタッフの方たちは、何度も「なぜこんなことをしているのか」と思ったかもしれません。すごく月並みなことですが、限られた生命と肉体を使うからこそ、この作品は面白い。デジタルの世界は無限ですが、やはり無限なものは有限なものの魅力には敵わないのではないでしょうか。
大きさの物差しに囲まれた世界で違和感あるスケールを生み出す
以下の映像は、アポロ16号に乗って月面着陸した宇宙飛行士が、遠くに見える車ぐらいのサイズの岩を目指して歩いていく映像だ。しかし歩いても歩いても、彼らは岩にたどり着けない──実際その岩は、彼らの想像以上に遠いところにあり、サイズもまた車どころか立派な家ほどの大きさだったという有名なエピソードである。中山氏は、このエピソードを例に、石の不思議な物質性について話し始める。
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中山:例えば家やビルなどの人間がつくったものは、日々目に触れるなかで「だいたいこのくらいの大きさだろう」という認識が人々に固定されます。けれどもアポロ16号 “House Rock”のエピソードが示す通り、月のように大きさの物差しになる人工物がなにもない場所では、優秀な身体を持つ宇宙飛行士ですら空間のスケールを見誤ってしまう。もしも大きさの物差しにならない家やビルがあったならそれはどんなものだろうと想像したときに、石っていいな、と(笑)。
砂山:中山さんのお話を聞きながら、与えられた環境内をプレイヤーが自由に移動することができるオープンワールド型のゲームを思い出していました。というのも、プレイヤーが自由に様々な行動を起こせるオープンワールドのゲームの制作は、自由を設計するのではなく、むしろその世界で何ができないか不自由にかかわる部分をデザインしていかなければなりません。例えば現実空間の建築は、すでにこの世界にある物理条件を前提として、その条件との折り合いの中に創造性がある一方で、例えばメタバースやゲーム空間内における建築の創造は、まずはそういった世界の条件から設計していく必要があり、現実の建築のつくり方とは根本的に異なるものだと思います。
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中山:メタバース上は、月面での経験に似て大きさの概念はありませんよね。例えば身長5万メートルの人と身長1センチメートルの人が同じ世界を共有できるはずなのに、現実世界に沿ったスケールで揃えられているのが不思議です。僕自身は、大きさの物差しに囲まれた世界の中で、石のように大きさの物差しにならないものや違和感あるスケールを、デジタルとフィジカルの両軸からつくっていくことに興味があります。
例えば長い月日をかけて生まれた海や巨大な岩、大きく育った樹木など、本質的には大きさの物差しを持たない大自然の中に建築をつくるような仕事には、そのスケールを固定してしまうのではないかという惧れが常にあります。
砂山:決まったスケールを持たない石やゲームデザインやメタバース空間のように、あらゆるシチュエーションにおいて条件が揺れ動いてしまう世界は、世界として定義しづらいからこそ面白いですよね。また中山さんが言うように、建築物をはじめ、人間がものをつくるという行為が、この世界にスケールや尺度を与えていく振る舞いとして考え、制作者自身がそれを反省的にとらえていることは重要であり、つくるものに批評的な奥行きを与えると思います。
「きのいし」を使って、大きさの物差しにならない建築をつくりたい
2017年から続いてきたこのプロジェクト。現在豊田市美術館で開催中の展覧会「ねこのほそ道」では、「かみのいし」に加えて、印刷の可能性を探る新作「きのいし」「ぬののいし」を出品している(~2023年5月21日)。かみのいしからユニークな発展を遂げている同プロジェクトの今後について聞くと、「きのいし」を使った建築をつくりたいと答えてくれた。
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Photo : Taichi SUNAYAMA
中山:例えば「きのいし」を使って、大きさの物差しにならない建築がつくってみたいです。このプロジェクトは紙から始まって、2メートル角ぐらいの大きなプリンターを使って、印刷による石のテクスチャーを実験してきました。プリンターのベッドに乗る平面の素材であれば、基本的には何にでも印刷できますし、当然同じデータであっても印刷の倍率は任意です。
ただしそれを立体に組み上げる段階で、ある大きさを越えると紙では自立できなくなる。物質世界には明確な閾値があって、「これを越えたらベニヤでないと成立しません」といった具合に、デジタルデータのほうから物理的に(紙以外の)ほかのメディウムを要求してくるのも、この一連の実験の面白いところです。
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Photo: GEMINI Laboratory by TOPPAN Inc.
そんなふうに印刷の倍率を大きくする過程で「かみのいし」から「きのいし」へ、さらに建築へと思考が広がっていくと、今度は物理条件以外に法律という新しい条件が浮かび上がってきます。自然の石というのはJIS規格(日本産業規格)を通っていないので、破壊実験して強度を確かめないかぎりは、建築の構造体に使うことができません。
ところがベニヤ板はJIS規格を通っているので、「きのいし」は構造体にできるんですね。「意味のないものをつくりたい」というスタートが、いつの間にか建築を実現させる社会的な決まりごとに行き当たってしまうのだから、印刷という技法にはまだ試されていない可能性がたくさんあると思います。
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Photo : Taichi SUNAYAMA
砂山:布は石と対極にある素材なので、「ぬののいし」は難しくて面白かったですね。「かみのいし」「きのいし」「ぬののいし」、どれも基材とその上に乗ったインクの集まりに過ぎないにもかかわらず、それを石と指差すズレを最大限に楽しんだプロジェクトであり、人間がどうやってものを認識するかという脳の仕組みにも踏み込めていると思います。
僕は、子供の頃にファミコンで遊んでいてバグが出たときに、世界の真理を見たような感覚がありました。それ以降、人間が構築した世界がバグを起こしたり、理がズレたり破綻したりする瞬間こそが、その世界や理そのものの本質をあらわにしていると思ってきました。ゲームなどのデジタル空間にかぎらず物理空間でも、人と人のコミュニケーションの中でも、日常的にバグは起きますし、そういう瞬間にこそ僕たちは豊かさや面白みを見出していくべきなのではないでしょうか?
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