早川書房編集者・一ノ瀬翔太が選ぶ、30年後の未来を予測するためのSF小説5冊

連載「未来を予測するための道標」は、各界の識者に近未来を想像するための5つの作品やプロジェクトを紹介していただき、これからを歩むための手がかりを探すコラム企画。
今回、執筆いただいたのは『スノウ・クラッシュ』の復刊を手がけた、早川書房編集者・一ノ瀬翔太さん。「メタバース」という語を生んだニール・スティーヴンスンによるSF小説『スノウ・クラッシュ』が発売されたのは1992年のこと。30年前の当時はスマホもSNSも普及しておらず、2022年現在と比べると大きく時代が変化したことがわかる。ではこれから世界はどんな姿に変わるのだろうか? 一ノ瀬さんには30年後の未来を予測するためのSF小説5冊を挙げていただいた。
1992年9月19日、カリフォルニア州ロングビーチ。自動車セールスマンの夫と専業主婦の妻という当時の典型的なアメリカの家庭、ラッキー家に、待望の第一子が生まれた。その子はパルマーと名付けられた。
遡ること3か月前、一冊のSF小説が発表されていた。ニール・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』だ。
パルマーは、メタバースなるアイデアが書きつけられた、この奇天烈な小説の影響を受け、弱冠16歳でVRヘッドセットの開発をスタート。19歳でOculus VR社を設立し、21歳のとき、数十億ドルでOculusをFacebookに売却。Facebook社は2021年「Meta」に社名変更し、メタバース企業への転換を打ち出している。
『スノウ・クラッシュ』で描かれた「メタバース」が、さながら作中の神経言語ウイルスのように人々のあいだを伝い現実化していく。
パルマーが生まれたのと同日、東京都足立区に、もう一人の男児が生を受けていた。父親は銀行員、母親は専業主婦という、やはり当時の典型的な日本家庭の、やはり第一子だった。彼は30年後、日本において『スノウ・クラッシュ』の新版を編集し、いまこの文章を書いている。
時間はめまいを引き起こす。絶対的な一回性。究極の偶然は、裏返せば究極の必然である。そういう「めまい」を、SFは描いてきた。こうした作品を通じて長大な時間的パースペクティブを身につけることができれば、30年後に何が起きるかはもはや些事にすぎない。
上田岳弘『太陽』
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上田岳弘の2013年発表の小説『太陽』を収録した『太陽・惑星』(新潮社、2014年)
時間も空間も飛びまくる、気宇壮大なホラ話。本作の未来パートでは人類が「第二形態」と呼ばれる段階に突入している。彼らは不老不死を実現し、容姿や知能指数などの「基礎パラメータ」を任意の値に設定することができる。そして、太陽の核融合を用いて大量の金を生成する「大錬金」なるプロジェクトを進める……。
注目したいのは、「第二形態」という概念が、作中の現代パートの登場人物が自身の書物で用いたものであることだ。その書物は、金庫にしまわれ誰にも読まれることなく、ごみ同様の運命をたどることになったが、全知全能である本作の語り手はその内容を知っている。
「メタバース」と同じように、作中世界において書物で提示された概念が後に「現実化」した――ただし、誰にも読まれなかったのだからこれは予言の類である。
一方、『スノウ・クラッシュ』の場合は読まれることで現実に働きかけている。そのため「未来を予言した書」とは少し違っていて、むしろ未来を創造したというのが正しいだろう。ともあれ、本書は人間の認知の限界を突き破るような語りを駆使しながら、虚 / 実の抜き差しならなさをも抉り出している。
オラフ・ステープルドン『最後にして最初の人類』
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オラフ・ステープルドンの1930年発表の小説『最後にして最初の人類』(国書刊行会、2004年)
「これは予言ではない。神話である。あるいは神話のこころみなのだ」――オラフ・ステープルドン(本書の「はしがき」より)
20億年後の「第十八期人類」が、「第一期人類」である読者に向けて語る未来史。400ページ近い作品中に、登場人物の名前がただの一度も登場しないことが象徴的である。1文でヨーロッパが滅び、雲型火星人が地球を侵略し、数万年が経過する。スケールの巨大さもさることながら、ディテールに奇想が爆発している。
たとえば、「第四期人類」=「巨大脳人類」のくだり。「第三期人類」の「不屈の実験家たちは、胎児の体や脳そのものの下等な器官の成長をはばむと同時に、大脳両半球の成長を大々的に促すことにより、直径十二フィートの脳と、脳の下部に痕跡しか残らぬまでに縮んだ肉体をもつ生命体の創造に成功したのだった。普通の大きさの肉体器官といえば、腕と手ぐらいなものだった。この物を操るための丈夫な器官は肩のあたりで、その生き物の住み処となる堅牢な煉瓦構造物へと繋がれた」
こうした巨大脳はやがて「第三期人類」を下僕とするようになり、さらに、集合精神を持つ火星人寄生体の変種を特殊培養し脳組織に取り込むことで、個体同士でのテレパシー能力を獲得するのである。1930年に発表された作品だが、現代のトランスヒューマニズムを想起させる異様なビジョンを提示している。
カート・ヴォネガット『ガラパゴスの箱舟』
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カート・ヴォネガットの1985年発表の小説『ガラパゴスの箱舟』(早川書房、1995年)
1986年の時点から100万年後の未来でこの物語を語る本作の語り手は、1986年当時を「巨大脳の時代」と呼ぶ。脳が人間を操り、さまざまな不和をもたらした時代。作中ではその結果、経済危機と戦争によって人類に滅亡の危機が訪れる。ヴォネガットに言わせれば、ステープルドンが描いたような自己改造を施すまでもなく、現代人の脳はすでにいびつに肥大しているのだ。
一方、本作で描かれる100万年後の人類はガラパゴス諸島で進化を遂げ、現在とはかけ離れた姿かたちをしている。ひれをもち、えら呼吸。言葉は話せない。
だがそこではこんな世界が広がっている。
「今日では、だれも静かな絶望の生活を送っていはいない。百万年前の大多数の人間が静かな絶望の生活を送っていたのは、彼らの頭蓋の中の呪わしいコンピュータが、ほどほどにするとか、遊ぶということができず、人生がとうてい提供できるはずのないとびきりの難問を、もっともっとと、ひっきりなしにせがむからだった」「今日では、だれかがだれかを拷問することなど、想像もつかない。ひれ足と口だけでは、拷問はおろか、だれをつかまえることができるだろう?」
ミシェル・ウエルベック『ある島の可能性』
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ミシェル・ウエルベックの2005年発表の小説『ある島の可能性』(河出書房新社、2016年)
ウエルベックもまた野生化した人類――野人――を本作で描いているが、ヴォネガットのそれとは対照的に、残忍で不幸そうである。
「時折、群れの中の一匹が別の一匹に跳びかかり、いがみあい、拳や言葉で傷つけあう。…ほんの数歩離れたところでは、他の連中が自分たちの争いと悪だくみを続けている。彼らはときどき二匹に近づいて、それが死んでいくさまを観察する。そういうときの連中の目には、ただただ空疎な好奇心しか見当たらない」
野人たちを防護フェンスの内側から眺めているのは、ネオ・ヒューマンと呼ばれる存在だ。遺伝子改変とクローン技術の産物。感情や欲求はほとんど消失しており、2000年前に生きた祖先の「人生記」を追体験し続ける。
現生人類を憐れむ目線は共通していながら、ウエルベックとヴォネガットはベクトルが逆を向いている感じがして面白い。テクノロジーへの懐疑が色濃いヴォネガットに対し、ウエルベックはむしろテクノロジーを推し進めた先にある人間の超越を描こうとする。描写の仕方も、ヴォネガットのように寓話的に書くのではなく、どこまでも生々しい。好みや気分によってどちらを読むかを選んでみてもいいかもしれない。
テッド・チャン『あなたの人生の物語』
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テッド・チャンの2002年発表の小説『あなたの人生の物語』(早川書房、2003年)
ここまでの4作はいずれも未来のある時点に存在する語り手の視点から過去を語るものだった。では逆に、過去のある時点から未来を、確定した事実として記述することはできるだろうか? テッド・チャン「あなたの人生の物語」は、ある仕掛けによって、それを成立させた作品である。
言語学者のルイーズは、地球を訪れた7本脚のエイリアン「ヘプタポッド」とコミュニケーションを試みるが、彼らの言語体系は、人間のそれとはまったく異なっていた。そして、言語体系にもとづく思考のあり方も──。
読みようによっては、本作はSF論、創作論でもある。「”それら”は未来を創出するため、年代記を実演するために、行動する」──『スノウ・クラッシュ』から霊感を埋め込まれて「メタバース」を実現させようとしてきたわれわれ人類のことを言っているようではないか?